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Number 70
Usaatoにかかわる、ひと・もの・こと vol.11 三輪福(みわふく)さん
以前、うさとジャパンが関わるイベントの舞台で舞をお願いしたことから、ご縁が繋がった三輪福(みわふく)さん。
彼女は自然豊かな奥能登で、里山と海辺での二拠点生活を送りながら、大量の梅干しを作り、藍染めをし、舞人として社寺祭りでの奉納舞台など、様々な巡業に出る日々を送っている。
少し想像しただけでも幅広く、膨大な活動量に思えるのだが
三輪福さんの佇まいはおっとりとして、話し方も優しくやわらかだ。
そこが、とても不思議に思えて、どのようにして今の生活に至ったのかを聞いてみた。
「きっかけは、いつも”なんとなく”なんです。」
「高校卒業後、街を歩いている時に、その後所属することになるプロダクションの社長さんに声をかけられて、それがきっかけで、あるオーディションを受けました。
私、小さい時に自分の感情が伝わらないことが多くて。
鬱憤みたいなものの蓋がぱあっと開いた時に、自分の部屋だったり、外だったりで、何者でもないような、不思議な動きで動いたりしていたんです。
オーディションでは、その時の自分をグッと寄せるイメージで踊ったんですね。
そうしたらダンサーとしてのデビューが決まりました。
訳が分からないままに、経験もなく踊ることになったんです。笑
デビューの舞台が、衣装も音楽も振り付けも決まっていて、その衣装もピンクのサテン生地の、アイドルみたいな感じで。生意気にもそれがすごく嫌でしょうがなくて。笑
早くそこから逃げ出したい、という思いで、既製品の衣装を組み合わせることから始めて、選曲もCDを買ってパソコンで編集して、照明も振り付けも、全て自分で考えて、それを新作として踊らせてもらえるようお願いしました。
その舞台は自分にとって開放感がありましたね。
そしたら、それを見た先輩たちに「私たちにも振り付けや衣装を考えて欲しい」と言われて。
プレイヤーであると同時にクチコミでその仕事が広まっていきました。
そんな日々を過ごす中で、業界の枠を超えてもっと精神的な表現がしたいという思いが高まってきて、引退しました。
”14年間たくさん踊ったし、たくさん振り付けもした。ああ、よく頑張ったなあ”
と1週間、ただ、自分を労うように、だらだらと過ごしていたら、突然天橋立のお祭りの奉納で舞うお仕事が入ってきて。
ちょうど天橋立へ行きたい、と思っていたところでしたので、びっくりしましたが、二つ返事で引き受けました。笑
いざ行ったら、海に浮かぶ狭いイカダ舞台の上で踊るというお仕事で、大変でしたが、毎年その舞台で踊ることになって。
そこからそれまでやってきたエンターテインメントの場で踊るのとは違う舞の道が始まっていってしまった、という感じです。
そんな感じで、すごく踊りたくてたまらなくて、舞の道に入ったわけではないので、ふと「どうして私は舞っているんだろう?」と考えてしまうこともあったんですが、最近はそういう人生だったんだなって思っています。
踊っている時は自分がいのちそのものであるような感覚になる。
そういう時空を生きているというか。
そういういのちなんだって。笑」
【Photo by Takeshi Ishizaka】
能登に来て7年目。それまでは東京に暮らしていた。
「旅行していただけなんです。
でも、ふと、巡業が多く、東京の家を空けることも多いし、どこか他へ行こうかなって思いました。
そうしていたら、梅の木と出会ってしまって。」
毎年、梅干し作りを重ねている三輪福さん。
里山で地主さんから梅の木たちを任されている。
そのきっかけも、「やる人がいないのなら、私がやります」と、500kgの梅干しを作ることになったのがご縁だそう。
(昨年は1t作ったとか!)
それから、突き動かされるようにして生きている。
廃校になる小学校の校庭にあった梅の木が切られると知り、貰い受け、出番を待っていた土地に植えたり、
海辺の家の方にも新たに梅を植えたという。
「どんどん増えちゃいますね」
と言うと、三輪福さんは笑った。
「梅の木の虜なんです。
年に5〜6回、梅の木の周りの草刈りをするんですが、地主のおじいちゃんはご高齢で、もう出来ない。
私がやることで、梅の木たちがいのちをまっとうできれば良いなと思っています。
それに、梅干しって100年持つらしいんです。
その頃どうなってるか、私には想像もできないけど。
未来の人たちのお守りになれば、なんて。」
【今年は毛虫が大量発生したため、葉はなく、実のみが付いている。木が危機感を感じたのか、新芽が出てきて不思議な景色なのだという。自然を受け入れながら、様子を見守る。】
「藍染めを始めたのは、”梅の木を剪定した後、燃やすと灰がたくさんできる、なら、灰汁ができる。草木はいっぱいある、なら、植物染めができる”と、直感的に思ったのがきっかけです。
藍染めで、とも思っていなかったくらい。
里山には、都会では見たことがないような虫がいっぱいいるので、植物染めの生地を暮らしに取り入れることで虫除けになればと考えて。
折よく藍の種をもらい、タイムリーに正(しょう)藍染めを教えてもらえる機会も得て、始めました。
正藍染めは、藍の葉と灰と水、シンプルにそれだけで出来ています。
藍って生き物だなと思うし、液体の中に手を浸していると、見えないんだけど、見えてくるような感覚になる時がある。
”今日はなんだか喜んでいるな”とか。
私の勝手な思いかもしれないけど、そのような感覚にさせてもらえると、とても嬉しいです。
スクモに灰汁を混ぜる時も、藍にご飯を食べせるようなイメージで。
少しずつ、少しずつ、様子を見ながら、藍の色素が出てくるのを待ちます。
生き物のような、色の変化が見えるんです。」
ーすごくドラマティックです!
「本当に。
瞬間を見せてもらっていると思います。
水の中で酸化させる工程があるんですが、どんどん色が鮮やかに変わっていって、その後、お日様に当てるんですが、そこでも光を追いかけるように色の変化があります。
本当に面白くて、あっという間に月日が経ちます。
人間の思い通りにいかないところがとても面白くて。
どれも違う。人がみんな違うように、一色一色違う。
一期一会です。」
三輪福さんの正藍染は、蓼藍を発酵させて作られたスクモに灰汁を混ぜ、さらに発酵させた液で染めたもの。
スクモ作りに取り組んだこともあったが、現在はスクモを丸めた藍玉を購入している。
灰は自分のところで出るものだけでは足りず、能登には炭屋さんが多いことから、適した木の灰をもらい、合わせて灰汁にしている。
「昔から、藍染めは分業制が多かったらしいんですが、無謀にもスクモ作りをしてみて、その理由がよくわかりました。大変でした。笑」
もちろんそれでも、作品作りには手間暇がかかる。
現在は自身の着る物に回せないほど、三輪福さんの作品は人気となっている。
【伝統的な日本の野良着”サルッパカマ”に、藍染めと刺し子を施したもの。】
舞、梅干し、藍染め。
全く違うジャンルなのに
どれも本質的には同じことをお話されているように感じる。
目の前のことをそのまま受け入れ、そのままの自分で心身を尽くす、ということ。
今回、里山の拠点の古民家にお邪魔して、お話を伺った。
障子は、藍染めした精麻と海で拾った貝がらを漉き込んだ自作の和紙に彩られていた。
リフォーム中の剥き出しの土間の照明にさえ、
さりげなく自然の草花の輪飾りがかけられていた。
「手が回らなくて」と言うが、家の中も、梅の木があるところも、途中の田んぼや森の中の蜂の巣箱まで、三輪福さんの手が入った場所は、どこかスッと清々しく心地良かった。
どこにそんな馬力があるのだろう??
お話いただいている間、失礼ながらまじまじと観察したのだが、どこまでも三輪福さんは自然なまま。
毎日お忙しくないですか?そう聞くと、嬉しそうに笑った。
「田舎暮らしは本当に忙しいですねえ。
びっくりしました!
とても豊かで、良い意味で自然が教えてくれるので、一息つくまがない。
うっかり自然の一部というか、自然そのものになってしまいます。
今、今、今が教えてくれる。
後で良いってことがないんです。」
「始める時はなんとなくなんです、いつも。
時というか、旬というか。
自分の中や世の中の動きの中で、色んな歯車がピタッとあった時に、
自分が思った以上のものがやってくる。
そう実感しています。」
【梅畑から家へ戻る道で】
最後に、Usaatoに求めるものを聞いてみた。
「舞手としては、ご縁があれば、またうさぶろうさんの衣装をまとわせてもらえればと思います。
あと、たとえばタンクトップにパットが入れられるところがあって下着なしで一枚で着れる、そんなものがあったらいいなと思います。
Usaatoの生地でそういうのがあれば気持ち良いだろうなって。
のびのび着れるなって思います。」
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